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歌旅日記blog版

豊田勇造の歌旅日記
豊田勇造『蜂鳥よブンブン飛べ 40周年記念』2枚組CD発売!
 豊田勇造オフィスからのお知らせです。

お待たせしました!
歌い始めてだいたい40周年を記念し、2枚組のアルバム
豊田勇造『蜂鳥よブンブン飛べ 40周年記念』
(2枚組CD 2500円 税込)6月20日から発売です。
それに合わせて予約受付を開始します。
(予約特典・送料無料)
詳細→
ここをクリック!

40周年ライブ1

CD1
1. 老いてこそロック
2. 好きなもの
3. 再会
4. 小川先生
5. いとうくん
6. 田中一村
7. ある朝高野の交差点近くをうさぎが飛んだ
8. 小さな町のライブハウス
9. 虹のうた
10. NO NUKES ONE LOVE GOOD MUSIC
ミュージシャン:豊田勇造(Vo.g.harp)、YUZO BAND【筒井ケイメイ(Harp)、仲豊夫(G)、山田晴三(B)、永見潤(Dr)】ゲスト 続木徹(Pf)、延谷旨俊(Sax)、五十嵐正史(Chorus)
CD1は2012年6月30日、7月1日と2日間にわたって開催された京都・拾得での「豊田勇造だいたい40周年記念ライブ」の録音からアルバム未収録の新曲を中心に制作。40年以上歌い続けて来た、いまの勇造の音楽世界をYUZOBANDの演奏とともにお楽しみください。

そして、もう一枚のCDは!

CD2
1. 人はみんな死んでいく (1971年 滋賀県ライブ)
2. 夜よ光れ (1972年 幻野祭)
3. MAP of the MAP (1972年 幻野祭)
4. 幻の野原 (1972年 幻野祭)
5. 寝る前5分前のブルーズ (1973年 MAP)
6. 真夜中の船 (1973年 MAP)
7. ことしの夏もどうにか越せて (1973年 西部講堂初リサイタル)
8. 大文字 (1973年 西部講堂初リサイタル)
9. 汚れつちまつた悲しみは (1973年 西部講堂初リサイタル)
10. ヒロシマ (1968年フォークル解散コンサート)
ミュージシャン:豊田勇造(Vo,G)

CD2は、豊田勇造という歌い手の根っこを培った時代、だいたい40年前の1971年から1973年にかけての貴重な音源の中から、象徴的なステージと曲を選んで1枚にまとめました。まだレコードデビュー前の、初々しい歌声を聴いてみてください。

注目は1972年の8月16日の大文字の日に京大農学部グラウンドで行われた「幻野祭」コンサートでの3曲。大文字点火直前まで演奏していたノリのいいバンドのアンコールを求め騒ぐ聴衆。ごうごうたる野次に包まれ、砂や石まで投げられる中、蜂鳥の描かれたギブソン・ハミングバードのギターをかき鳴らし、大文字を背にして一人歌う勇造の姿がありありと目に浮かんできます。

この頃は下鴨のロック喫茶「MAP」で毎週土曜日に歌うことを4年間続けていました。毎週欠かさず聴きに来てくれるお客さんたちに応えて歌い続けたことが、その後の40年を支える土台となったのでしょう。

マップ

「幻野祭」での悔しさを見事に昇華して見せたのが、翌年の京大西部講堂で開いた初リサイタル。ここで作ったばかりの「大文字」を披露します。現在に至る確かな歩みを感じさせる歌と演奏があります。

最後にボーナストラックとして、17歳の頃作った歌「ヒロシマ」を収録しました。この歌でフォークコンテストに入賞したことがきっかけで、高校生の頃からラジオやTVに出演するようになりました。このテイクは1968年10月「フォーククルーセイダース」の解散コンサートに出演した時のものです。

こうやって1枚にまとめてみると、まさに40年前の71年〜73年頃が豊田勇造という歌い手の始まりであり、同時に礎なのだと思い至ります。

40年前の始まりから現在の勇造へ。この『蜂鳥よブンブン飛べ』を聴いて、40周年記念の「拾得」ライブの夜に、そして「大文字」を生んだ伝説のコンサート「幻野祭」に、土曜の夜のMAPに、京大西部講堂初リサイタルに、立ち会っている、そんな気分になってもらえればと思います。
さあ、今夜も蜂鳥よブンブン飛べ!

40周年ライブ2

| お知らせ | 00:00 | - | - | - | - |
2012東北ツアー「さあ、もういっぺん」(4)陸前高田ジョニー
 さて三日目、10月4日は陸前 高田ジョニー。

 この日は大久保くんが釜石の宿から連れて行ってくれた。陸前高田も大槌と同じだった。がれきが片付いただけで、津波で全滅した市街地は手つ かずのまま。地盤沈下のせいで、水がついたままの土地もそのまま。かつては千昌夫が所有していたホテルも壊れたまま。


 2012陸前高田
以前町があったところ。地盤が下がって、水が引かないまま。1年たっても何もない。

ジョニーに着くと由紀さんが笑顔で迎えてくれた。

去年はコンクリートのブロックの上にプレハブ住宅を載せただけの仮設店舗だった。去年のライブのときにはちょうど台風がそばを通り、店が揺れるほどだった。でも今年のジョニーはちゃんと地面に固定され、広くもなり、内装もしっかり。トイレも店内にある。店の中にはレコード、CD、ジャズのポスター、本、ピアノなどなどでなかなかいい雰囲気。でもそれ以上に、由紀さんが居ればそこがジョニー。



高台にある仮設店舗で営業中のジョニー。

三十五年近く 陸前高田で主催をしてくれていた菅野有恒くんは津波で亡くなったけれども、こうして今年も歌いにこれて本当に嬉しい。光照寺の高沢さん、小松くん、横 澤くん、照明をしてくれる黄川田くん。有恒くんの息子の広大くん、それに有恒くんのお母さんが移り住んだ盛岡からわざわざやって来てくれた。

ライブはゲストのやなぎくん、釜石からの三浦くん、木下くんたちとにぎやかにやった。「雲遊天下」を歌うとき気持ちが入って心の中でうるうるしてしまった。というのも、由紀さんは自分で糸をつむいで編み物、織物をする人で、その由紀さんに歌詞がだぶってしまったから。


打ち上げは由紀さんの手料理。秋田からファンクラブ会長の土田博夫君も駆けつけてくれ、持参した日本酒「勇造」で乾杯。去年のジョニーライブに来てくれた京都の中川さんからは京都のお菓子が届いていて、みんな阿闍梨餅を喜んで食べていた。


打ち上げでこんな 話を聞いた。「津波から車で逃げているときに、そばを歩いている人に、声はかけたんだけど、乗ってこなかった。無理やりにでも乗せていれば。でもそれで時 間を取られていたら自分もどうなっていたか分からない。このことが今でも気になって」同じように思う人が何人も何人もいるんだろう。

嬉しいニュースもあった。以前ジョニーライブの時には必ず食べに行っていた蕎麦屋さん、津波で流されてしまったけれど、町の高台で店を再開しているとのこと。来年はきっと食べに行こう。ここのカレー南蛮そばはほんとにうまかったもの。




左から2人目はやなぎくん。由紀さんは店内で準備中。

この日の宿は、ゲ ストのやなぎくん宅。やなぎくんの連れ合いの美幸さんが「今日の由紀さん、とっても楽しそうだったです。由紀さんが喜ぶ姿を見て嬉しくなりました」としみ じみ。やなぎくんは「いつになったら普通にチャージを取ってライブができるようになるかなあ、と由紀さんと話してるんです」と言っていた。

東北ツアーから戻る列車の中で、草山くんの言葉を何べんも思い出していた。

「東北へ来てほしい。今の様子を見てほしい」

                   (東北日記・了)


                    *写真:勇造


*今年も東日本ファン支援プロジェクト「さあ、もういっぺん」への支援、ありがとうございました。皆さんの金銭的・精神的支援で去年に続いて東北へ歌いに行くことが出来ました。このプロジェクト、まだしばらくは続けていきたいと思います。また引き続きよろしくです!


*ぴーすけくん撮影・編集のユーチューブ映像はこちらです。

2011年9月東日本ファン支援プロジェクト「さあ、もういっぺん」

2012年10月東日本ファン支援プロジェクト「さあ、もういっぺん」

 *支援ライブプロジェクトへの送金・詳細

世話人さくらさんのHPよりライブプロジェクトのページへお入りください。

| プロジェクトさあもういっぺん | 13:46 | - | - | - | - |
2012東北ツアー「さあ、もういっぺん」(3)2012年大槌町
 10月3日は大槌町・夢宇民。

今日のライブの世話役・大久保くんの車で釜石から北へ半時間ほど走ると大槌の町。「あの建物は避難所ということになっていたんですが、あの日あそこに逃げた人は助かりませんでした。波が想定以上の高さでしたから」「中学生が小学生を導いて行って全員助かったという丘があそこです」と、大久保くん。

大槌の町は、がれきが片付いたぐらいで、去年来た時とほとんど変わらず。災害の後の復興計画がまだ立たないので、町があったところは手つかずのまま。町に住んでいた人たちは山のほうにある仮設住宅に暮らしている。



2012大槌

今日のライブの会 場は、奇跡的に残った三階建の建物の二階↑にある喫茶夢宇民(ムーミン)。もとは一階で米屋と喫茶店をやっていたという。隣には四、五階建てのビルが一つあ るだけで、周りには何もない。ほかの建物は地震と津波の後の火災でみんな燃えてしまったという。

店から見える山の麓には墓地があって、沢山の人が花を供え に来ていた。








 ライブは昼の三時から。夜には誰も出歩かないから、この時間になった。
大久保くんが尺八を吹き、それに後藤くん、三浦くん、木下くんも加わり、夢宇民のマスターの赤崎さんも一曲歌ってくれた。




 お客さんの中に地元の元気なおかあさんがいて、歌が大好きだというので誘うと、「北上夜曲」を歌ってくれた。この人も仮設住宅に住んでいる。








 夢宇民でちょっと打ち上げをしてから釜石に戻る。大槌には泊まれるところがないので。
 釜石の呑み屋ばかりズラーッと入った仮設呑み屋横丁で、草山くんたちと飲んだ。今日のライブにも来てくれた松下さん夫妻も一緒。一人一匹サンマの焼いたのが出てこれがなかなかうまかった。さすが三陸。


*写真:菊地信平
| プロジェクトさあもういっぺん | 16:33 | - | - | - | - |
2012東北ツアー「さあ、もういっぺん」(2)2012年釜石ライブ
2012年10月2日釜石・青葉公園商店街特設ステージ

十月二日の昼前に伊丹空港を出発し、花巻空港に着くと釜石ライブの世話役・草山雅之くんが出迎えてくれた。再会は一年ぶりというのに、ついこの間別れたばかりという気になるなんだかなつかしい男。秋の初めの東北を車で走りながら、いろいろと話をする。

「釜石のみんなは何とかやってます。大津波の後は、生きていたらそれで十分という気持ちだったけれど、少しづつその気持ちが薄れて来て。でも、あのときあんなふうに助け合ったということは、忘れられませんよ」と、草山くん。

車が釜石の町に入る。去年は無残な姿をしていた街のところどころ新しい店が開かれ、復興の兆しが見える。今夜のライブの会場は青葉公園商店街の中庭。二階建ての仮設店舗が四つ並んでいて、一棟に十ぐらいの仮店舗が入っている。

草山くんの店「MESA」もここに入っている。本職はアウトドアショップとアウトドアツアーだがこの仮設店舗では連れ合いの順子さんと喫茶・カレーの営業もしている。ここのカレーはなかなか、ウマイ。




2012釜石

「MESA」で三 陸ブロードネットという地域のテレビ局のインタビューを受けたり、菊地信平さんが写した津波の時の写真を見せてもらっているうちに夕方になり、口川くんが PAのセットを終えるころ、後藤くん、ベースの志信くん、ギターの三浦くん、パーカッションの木下くん(DVDも担当)たちもう三十年来の釜石のミュージ シャン仲間たちが集まってきた。明日歌う大槌から大久保くんもやってきた。



大漁旗の張られた中庭の広場にライトが灯り、釜石ライブの始まり。ソロで歌ったり、釜石のみんなとセッションしたりで、二時間ほど。ぜひ歌いたいと思っていた「唇かみしめて」「夢で会いたい」「大文字」も歌ったし、後藤くんもソロで歌ってくれた。









今回も被災地に歌いに行くことはどうなのか、と思いながらやってきたけど「勇造さんが来てくれたおかげで、久しぶりにみんなに会えた」と言ってくれた人が居て、その一言で「ああ、来てよかった」と思った。






ライブの後 「MESA」に移って打ち上げ。店内一杯の人でワイワイガヤガヤ。長野県の飯田から来てくれた松下さん夫妻もみんなに混じって話をしていた。一年ぶりに会 えた岩間さん、近岡くんともゆっくり話せた。この岩間さんは津波にさらわれたけれども、なんとか生き延びた人。打ち上げに来た人、ミュージシャン仲間にも 同じように奇跡的に生き延びた人が何人もいる。身近な人を亡くした人もたくさんいる。

そうそう、志信く んも連れ合いの美紀子さんも何とか難を逃れ、そして釜石・大槌地域で唯一営業を続けたガソリンスタンドの店主。時間外にガソリンを売れと木刀で脅かされた り、首を締め上げられたりしたという。その一方で、行方が分からない子供を探しに行くためのガソリンを融通してもらった父親が、後日娘と一緒にお礼に来て くれたともいう。

この話は「生と死の記録 続・三陸物語」(萩尾信也著 毎日新聞社刊)にも載っている。「三陸物語」ともども必読です。ちなみに著者の萩尾信也さんは草山くんの高校時代の同級生。

*このページの写真はすべて菊地信平さん

| プロジェクトさあもういっぺん | 14:04 | - | - | - | - |
2012東北ツアー「さあ、もういっぺん」(1)2011年釜石
今年も「東日本ファン支援プロジェクト さあもういっぺん」で東北に「派遣」されてきました。
今年のライブは10月2日釜石、3日大槌、4日陸前高田。
 釜石の写真家、菊地信平さんに去年と今年の写真をもらったので、
その写真と自分で写した写真とで日記を書いてみます。
(2012年のぶんの日記は勇造通信にのせた文章からまとめたものになります)

まずは2011年9月19日の釜石ライブから。
震災からやっと6か月。
会場ははじめ、晴れていたら主催者の草山雅之君のアウトドアショップ店「MESA」の跡地でやる予定だったが、当日は雨だったので天井だけある近くのパチンコ店の駐車場跡ですることになった。会場のまわりには、がれきの山、入り口には壊れた車が積み重ねられたまま。
9月とはいえ冷たい風が吹きぬけるので、車を何台も持ってきて周りに置き風よけの壁にする。参加する人はもちろん無料だが、飲み物食べ物イスなどは持参という形のライブ。



夕方になったら真っ暗な道を以前からライブに来てくれていた人たちが集まってきた。
「避難所で歌ってもらうより、いままで勇造さんのライブに来ていた人に聴いてほしかった」と草山くん。

2011釜石

まずはソロで歌い、それから地元のミュージシャンたちが加わる。
釜石、大槌、陸前高田に歌いに来てもう35年近く。だからたくさん音楽仲間がいる。
写真左の横笛は大槌の大久保正人くん、右のパーカッションはぴーすけくん。
ぴーすけくんは、映像の仕事をしていて、2011年、2012年とこのプロジェクトのレポートをビデオで編集してユーチューブにアップしてくれている。



左からベース磯田志信くん。ガソリンスタンドを経営する。震災の時、大槌・釜石地区で唯一、給油を続けた。「あの時、人生のさまざまな裏表を見ました」とのこと。
二人目のボーカルの後藤隆くん。「さあ、もういっぺん」を録音した東京・高田馬場のスタジオでアルバイトをしていた後藤くんと知り合ったのは1976年のこと。
ギター三浦広明くん。楽譜なしでファンキーなギターを弾く人。



写真中央は主催の草山雅之くん。サックスはうのひろ君。
最後は会場からみんなに出てきてもらって、一緒に「大文字」。
「さあもういっぺん、さあもういっぺん、火の消える前に」
家族や友達を亡くした人、かろうじて生き延びた人、家を流され仕事を失った人、
そんな人たちが歌う「さあもういっぺん」を聴いていると涙がこぼれそうになったが「俺が泣いたらあかん」と辛抱した。
何十回も「さあもういっぺん」を繰り返し歌った。
この日の「大文字」を忘れることはないだろう。




*これまでの写真は菊地信平さん。以下の写真は勇造が撮った釜石の風景です。


ライブ会場の入り口



釜石の堤防にめり込む‥


アジアシンフォニー号
| プロジェクトさあもういっぺん | 00:18 | - | - | - | - |