この日は大久保くんが釜石の宿から連れて行ってくれた。陸前高田も大槌と同じだった。がれきが片付いただけで、津波で全滅した市街地は手つ かずのまま。地盤沈下のせいで、水がついたままの土地もそのまま。かつては千昌夫が所有していたホテルも壊れたまま。
以前町があったところ。地盤が下がって、水が引かないまま。1年たっても何もない。
ジョニーに着くと由紀さんが笑顔で迎えてくれた。
去年はコンクリートのブロックの上にプレハブ住宅を載せただけの仮設店舗だった。去年のライブのときにはちょうど台風がそばを通り、店が揺れるほどだった。でも今年のジョニーはちゃんと地面に固定され、広くもなり、内装もしっかり。トイレも店内にある。店の中にはレコード、CD、ジャズのポスター、本、ピアノなどなどでなかなかいい雰囲気。でもそれ以上に、由紀さんが居ればそこがジョニー。
高台にある仮設店舗で営業中のジョニー。
三十五年近く 陸前高田で主催をしてくれていた菅野有恒くんは津波で亡くなったけれども、こうして今年も歌いにこれて本当に嬉しい。光照寺の高沢さん、小松くん、横 澤くん、照明をしてくれる黄川田くん。有恒くんの息子の広大くん、それに有恒くんのお母さんが移り住んだ盛岡からわざわざやって来てくれた。
ライブはゲストのやなぎくん、釜石からの三浦くん、木下くんたちとにぎやかにやった。「雲遊天下」を歌うとき気持ちが入って心の中でうるうるしてしまった。というのも、由紀さんは自分で糸をつむいで編み物、織物をする人で、その由紀さんに歌詞がだぶってしまったから。
打ち上げは由紀さんの手料理。秋田からファンクラブ会長の土田博夫君も駆けつけてくれ、持参した日本酒「勇造」で乾杯。去年のジョニーライブに来てくれた京都の中川さんからは京都のお菓子が届いていて、みんな阿闍梨餅を喜んで食べていた。
打ち上げでこんな 話を聞いた。「津波から車で逃げているときに、そばを歩いている人に、声はかけたんだけど、乗ってこなかった。無理やりにでも乗せていれば。でもそれで時 間を取られていたら自分もどうなっていたか分からない。このことが今でも気になって」同じように思う人が何人も何人もいるんだろう。
嬉しいニュースもあった。以前ジョニーライブの時には必ず食べに行っていた蕎麦屋さん、津波で流されてしまったけれど、町の高台で店を再開しているとのこと。来年はきっと食べに行こう。ここのカレー南蛮そばはほんとにうまかったもの。
左から2人目はやなぎくん。由紀さんは店内で準備中。
この日の宿は、ゲ ストのやなぎくん宅。やなぎくんの連れ合いの美幸さんが「今日の由紀さん、とっても楽しそうだったです。由紀さんが喜ぶ姿を見て嬉しくなりました」としみ じみ。やなぎくんは「いつになったら普通にチャージを取ってライブができるようになるかなあ、と由紀さんと話してるんです」と言っていた。
東北ツアーから戻る列車の中で、草山くんの言葉を何べんも思い出していた。
「東北へ来てほしい。今の様子を見てほしい」
(東北日記・了)
*写真:勇造
*今年も東日本ファン支援プロジェクト「さあ、もういっぺん」への支援、ありがとうございました。皆さんの金銭的・精神的支援で去年に続いて東北へ歌いに行くことが出来ました。このプロジェクト、まだしばらくは続けていきたいと思います。また引き続きよろしくです!
*ぴーすけくん撮影・編集のユーチューブ映像はこちらです。
2011年9月東日本ファン支援プロジェクト「さあ、もういっぺん」
2012年10月東日本ファン支援プロジェクト「さあ、もういっぺん」